2011年6月26日日曜日

ホンマタカシ



http://www.asahi.com/event/homma/

前から行きたかったホンマタカシ氏の写真展が今日までだったので行ってきました。
閉館の1時間前に行ったので早足で見てしまったのが悔やまれる所。

全体を見た感想としては、いろいろな展示方法があってその中にも作者の「個性」が滲み出ているってこと。
プロの写真家が必要とされるのはそこだろうな、と。

自分より何百倍も写真の可能性と向き合っていることも。
7つもの展示方法がどれも撮って飾っておしまいではなくその「次」がある。

その中で2つ、最も心に残っている展示についてまとめようと思う。

まず、名前だけで自分を見に来る人を試していること。

Tokyo and My Daughter (1999-2010)

 ホンマがライフワークとして撮り続けている、東京の風景とひとりの少女のポートレイトからなるシリーズです。タイトルを直訳すると「東京と私の娘」となりますが、実はこの少女はホンマの友人の子供で自身の子供ではありません。今回、このトリックのあるタイトルとホンマが撮った写真、そして少女の家族のファミリーアルバムからホンマが複写した写真も並列に展示することで、個々の写真ではなくシリーズ全体として意味を捉えることや写真表現の多義的な面についても提示しています。特定の対象を追い、ドキュメンタリーとしての視点も備えた本作は本展タイトルの「ニュー・ドキュメンタリー」を象徴する作品のひとつと言えるでしょう。


展示を見ると明らかに一般人が撮ったような写真もあったけど、それがもし彼が撮った写真であるならば見方は変わってくるはず。
この展示が最初にあったから、写真の見方がリセットされて一つの「画」として見れた。
誰が撮ったっていいものは良い。悪いものは悪い。

ネームバリューは作品と向き合うことを止めてしまう薬のようなものであると自分は解釈。


自分がなぜこの人の写真が好きなのかをこのブログを書きながら考えてみる。
考えるぐらいだから好きではないと言われてもしょうがない。でも好きなんだから。引き込まれるんだから。

一つに自分が目指すコンセプトと似ている所がある。
彼は写真を「ドキュメンタリー」と捉えている点。かなり共感できるものがある。

自分がファインダー越しに覗いている風景は、自分で考えて、自分の足で移動して、その場所で、その瞬間に立ち会っているから生まれる。
その写真を見返すと、あの日、あの時の気持ちが戻ってくる。良いことも。悪いことも。
それを忘れないようにするために、写真を撮る。
自分で自分のドキュメンタリー作品を作っているようなもの。

特に野生のマウンテンライオンの道筋を追った作品。
文章と相まってそこに自分かいるんじゃないだろうかって気分になった。


もっと書きたいことがあるけれど、文にまとめるのは難しい。
これから展覧会に行ったときにはこんな感じの文章を書いて、残していこうと思う。
今回は初めてなので、この辺でご勘弁を。

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